おせち料理の歴史を調べると、必ず登場するのが「五節会(ごせちえ)」という言葉です。
五節会とは平安時代の宮中で行われていた重要な年中行事のこと。
天皇が臣下を招き、宴や儀式、歌舞を通して季節の節目を祝った華やかな行事でした。
現在のおせち料理の語源である「御節供(おせちく)」もこの五節会と深く関係しています。
この記事では、
- 五節会とは何か
- 五節会の内容と種類
- 各行事の意味
- 五節会とおせち料理の関係
- 平安時代の宮廷文化
について詳しく解説します。
五節会(ごせちえ)とは?
五節会とは、平安時代に宮中で行われていた「五つの重要な節会(せちえ)」の総称です。
節会(せちえ)とは?
節会とは、季節の節目に行われる宮廷の公式宴会のこと。
天皇が臣下たちを招き、
- 酒宴
- 儀式
- 歌舞
- 祝賀
などを行い、国家の平安や豊作を祈りました。
中国文化の影響を受けながらも、日本独自の宮廷文化として発展していったのが特徴です。
五節会の5つの行事一覧
平安時代に特に重要視された五節会は、次の5つです。
| 行事名 | 日程 | 主な意味 |
|---|---|---|
| 元日節会(がんじつのせちえ) | 1月1日 | 新年祝賀 |
| 白馬節会(あおうまのせちえ) | 1月7日 | 無病息災 |
| 踏歌節会(とうかのせちえ) | 1月16日 | 新春の祝い |
| 端午節会(たんごのせちえ) | 5月5日 | 厄除け・健康祈願 |
| 豊明節会(とよのあかりのせちえ) | 11月 | 収穫感謝 |
これらが総称して「五節会」と呼ばれていました。
1. 元日節会|新年を祝う最重要行事
元日節会は、1月1日に行われる最も格式高い節会です。
天皇が群臣たちに酒や料理を振る舞い、新年を祝いました。
この場で供された特別な料理が、
「御節供(おせちく)」
と呼ばれたことが、現在の「おせち料理」の語源になったと言われています。
つまり、おせちはもともと宮中行事の料理だったのです。
2. 白馬節会(あおうまのせちえ)|邪気を払う正月行事
1月7日に行われたのが「白馬節会」です。
「白馬」と書いて「あおうま」と読むのが特徴です。
当日は、青みがかった白馬や葦毛(あしげ)の馬を庭に引き出し、天皇がそれを観覧しました。
なぜ白馬なの?
昔は白い馬に邪気を払う力があると考えられていました。
そのため、
- 無病息災
- 厄除け
- 健康長寿
を願う意味が込められていたのです。
現在でも、一部の神社ではこの伝統が受け継がれています。
3. 踏歌節会(とうかのせちえ)とは?
五節会の中でも特に華やかだったのが「踏歌節会」です。
踏歌とは?
踏歌とは、
地面を踏み鳴らしながら歌い踊る芸能
のこと。
中国から伝わった文化が、日本独自の歌舞文化と結びつき、平安宮廷の重要な正月行事になりました。
踏歌節会の内容
踏歌節会では、舞人たちが音楽に合わせて庭を巡りながら歌い踊りました。
主な流れ
- 天皇が宮殿に出御
- 公卿たちを招いて宴を開く
- 舞人たちが歌舞を披露
- 新年を祝う歌を奏上
という流れで進行しました。
華やかな衣装をまとった舞人たちの姿は、まさに平安文化の象徴だったと言われています。
男踏歌と女踏歌
踏歌には、
- 男踏歌
- 女踏歌
の2種類がありました。
男踏歌
少年や男性が舞う形式。
女踏歌
女性たちが優雅に舞う形式。
平安時代中期以降は、特に「女踏歌」が重視されるようになりました。
美しい装束をまとった女性たちが舞う様子は、宮廷文化の華とも言われています。
4. 端午節会|現在の「こどもの日」のルーツ
5月5日に行われた端午節会は、現在の端午の節句(こどもの日)の原型です。
もともとは、
- 菖蒲
- よもぎ
- 薬草
などを使って邪気払いを行う行事でした。
やがて武芸文化と結びつき、
- 騎射
- 弓術
なども披露されるようになります。
そこから、
男児の健やかな成長を願う日
として発展していきました。
5. 豊明節会(とよのあかりのせちえ)|収穫を祝う宴
豊明節会は、新嘗祭(にいなめさい)の翌日に行われた重要な宴です。
新嘗祭とは、その年の収穫を神に感謝する祭祀のこと。
その後に行われる豊明節会では、
- 五節舞(ごせちのまい)
- 宴会
- 歌舞
などが行われ、収穫の喜びを分かち合いました。
一年の締めくくりとして、とても重要な意味を持っていたのです。
五節会と五節句の違い
五節会と似た言葉に「五節句」があります。
混同されやすいですが、実は別のものです。
五節会
平安時代の宮廷行事。
五節句
江戸時代に幕府が定めた民間行事。
五節句の例
- 人日の節句(1月7日)- 七草の節句
- 上巳の節句(3月3日)- 桃の節句(ひな祭り)
- 端午の節句(5月5日)- 菖蒲の節句(こどもの日)
- 七夕の節句(7月7日)- 笹の節句
- 重陽の節句(9月9日)- 菊の節句
五節会が宮廷文化なら、五節句は庶民文化へ広がった年中行事と言えます。
五節会とおせち料理の関係
五節会では、季節の節目ごとに特別な料理が供されていました。
この料理が「御節供(おせちく)」と呼ばれ、現在のおせち料理の語源になったとされています。
つまり、おせちは単なる正月料理ではなく、
宮中儀式から受け継がれた伝統料理
だったのです。
五節会が持っていた本当の意味
五節会は単なる宴会ではありませんでした。
そこには、
- 国家安泰
- 豊作祈願
- 邪気払い
- 天皇と臣下の結束
- 文化継承
といった重要な意味が込められていました。
歌舞や料理を通して、日本文化そのものを育んでいたのです。
五節会はおせち文化の原点
五節会は、平安時代の宮廷で行われていた格式高い年中行事です。
そして、その中で供された「御節供」が、現代のおせち料理へとつながっていきました。
現在でも私たちが正月におせちを囲む文化には、
- 季節への感謝
- 家族の幸せ
- 新年への祈り
という、千年以上続く日本人の想いが受け継がれています。
おせち料理を食べる時には、ぜひその背景にある平安時代の雅な文化にも思いを馳せてみてくださいね。